第2部 組織の変革を推進する
第15章 意思決定者を動かす
JMRAインターネット調査品質委員
リサーチ・コンサルタント
岸田 典子
この20年で、人間の心理に対する理解は飛躍的に進んた。その中でも特に注目すべき進歩は、私たちがどのように意思決定をしているかについての詳細な分析で、行動経済学(BE)という研究分野全体が発展し、数多くの人気の書籍がこのテーマに焦点を当てている。
古典経済学の理論では、人間は常に合理的な意思決定をすると仮定されている。特にお金を使うときはそうだ。経済モデルや教科書は、私たちが常に次のような意思決定をすると仮定してきた。
- 合理的:表示方法に関係なくすべての選択肢を検討するので、背景となる文脈(コンテキスト)は重要ではない。
- 自分中心的:自分にとって正しいことだけを考えるので、他人や選択肢を提示してくれた人に対して義務感をもたない。
- 実用性の最大化:私たちが物理的に最終的に何をもたらすかが重要であり、その選択が私たちにどのように感じさせるかではない。
たとえば、古典的な経済理論では、レストランでの食事の後、会計の時に無料で提供されるミントを受け取ることで、経済的な自己利益を追求すると考えるが、それがチップを残すかどうかの判断に影響を与えることはないだろう。
しかし行動経済学者は、このような教科書的な前提が実際には正しくなかったことを明らかにしてきた。私たちは、毎日の生活の中で、完全に合理的とはいえない、また必ずしも自分の利益にならない行動を繰り返している。しかし、私たちの行動が合理的でないからといって、それがランダムであるとは限らない。実際、実験によると、私たちの選択は行動バイアスの長いリストに導かれており、これらをよく知ることで私たちを「予測可能な非合理」にする効果がある。
では、これが企業のインサイト部門の世界とどのような関係があるのだろうか? まず、市場調査に携わったことがある人なら知っているだろうが、消費者が重要だと主張することと、消費者の行動を観察したときに実際に何をするかの間には常にギャップがある。デービッド・オグルビーは「市場調査の問題は、人々が自分の感じていることを考えず、自分の考えを口にせず、自分が言ったことを実行しないことだ」と言ったとされている。私たちは自分自身を分析するのが苦手で、後付けで合理化したり、社会的に受け入れられる答えだと思うものを答えたりする。このような問題を回避するために、多くのインサイトチームや調査会社は、行動経済学からの重要な学びを取り入れ、消費者についての自分の仕事に応用している。
しかし、IMAは、企業のインサイトチームは、企業のエンドユーザーを理解するのと同じくらい、上級ステークホルダーを理解することに注意を払う必要があると考えている。本社でどのような意思決定が行われているかを知らなければ、その意思決定に影響を与えるチャンスはほとんどない。そして、もしそういう決定に影響を与えないのなら、そもそも消費者に関する分析や調査を行う意味がない。
したがって、行動経済学の登場は、分析、調査、インサイトの分野でこの40年間に起こった最大の変化であり、ビッグデータの登場よりもさらに大きな意味をもつ可能性があると感じている。
インサイトチームはどのようにして意思決定者を動かすことができるのか?
行動バイアスに関する知識は、ステークホルダーに影響を与えたいインサイトチームにとっても、消費者の選択要因についてもっと多くのことを知りたいインサイトチームにとっても同様に役に立つ。それは、ステークホルダーをどれだけよく知っているかに関係なく使える便利な戦術リストを作成するのに役立つ。
IMAはこれを、意思決定者を理解し、より良い関係を築くための、並行的でかつ補完的なアプローチだと考えている。私たちは皆、インサイトチームを信頼できるアドバイザーだと思っている人々に対して、より大きな影響力を持つ可能性があると考えている。したがって経営幹部の信頼を得ることは、企業のインサイト部門のすべての人にとって戦略的な目標になるはずだ。しかし、時には慎重に知恵を絞ることも必要だ。私たちはインサイトのサポートを求めてきた人全員から、一夜にして信頼できるアドバイザーになれるわけではない。
そして、この2つのアプローチは、互いに組み合わせることでうまく機能する。親なら誰でも子どもにきちんと食事をさせたり、部屋を片付けさせたり、宿題をさせたりするためには、巧みな戦術を駆使しなければならないことを知っている。ただ単によい関係であるだけでは不十分なこともあるのだ。
しかし、すべての人がいきなり170もの行動バイアス (あるいはGoogleで検索できる数) を知る必要はない。それよりも、英国政府の行動インサイトチーム (一般にナッジ・ユニットとして知られている) によって開発されたEASTフレームワークを使って、意思決定者にどのような調査結果や選択肢を提示すれば納得するのかを検討してほしい。
簡単(Easy):人に何かをするように促したいなら、できるだけ簡単に決断できるようにしよう。
魅力的(Attractive):人に何かをするように促したいなら、決断をするプロセスを魅力的にしたり、やりがいのあるものにしたりしよう。
ソーシャル(Social):人々に何かをするように促したいなら、人々が他の人々からどのように影響を受けるか、また、私たちの選択に対する反応を利用することである。
タイムリー(Timely):人に何かをするように促したいなら、適切なタイミングで目標を定め、時間に関連した動機付けを利用する。
英国のナッジ・ユニットでは、このフレームワークを使って具体的な行動バイアスを分類しているが、EASTの4つのファクターを使ってシンプルにはじめることにことに、多くのメリットがある。しかし、単純なフレームワークを使用したとしても、意思決定の方法を分析する必要がなくなるわけではない。情報が提示されてから選択が行われるまでのプロセスをマッピングし、ファインディングスを魅力的に伝え、提案を受け入れやすくする方法を考える必要がある。
注)2010年に英国の内閣府の下にBehavioural Insights Team(BIT)、通称ナッジ・ユニット(Nudge Unit)が伝統的な政策ツール(規制や財政的な手段)などを補完しうるような行動経済学など行動科学に基づいた政策ツールを考案することを目的として設立された。
(参考:https://www.bi.team/wp-content/uploads/2015/07/BIT-Publication-EAST_FA_WEB.pdf)
成功するインサイトチームの15番目の秘訣は、行動経済学からの学びを利用して意思決定者を動かすことだ。
重要ポイント:
- 個人生活においても企業の意思決定においても、人間は合理的ではなく、予測可能な程度に非合理的なものである。
- 多くのインサイトチームが行動経済学(BE)を取り入れ、消費者の選択とそれを促す方法について学んでいる
- しかし、行動経済学(BE)はまた、私たちがどの程度知っているかにかかわらず、経営幹部の意思決定者に手を差し伸べる素晴らしい機会を与えてくれる。
- 関連するバイアスが数多くあるので、すべてのインサイト専門家は、最も重要ないくつかのバイアスについて基本的な理解を深める必要がある。
- 手っ取り早く成功するには、経営幹部が私たちのアドバイスを受け入れやすくするよう、より魅力的で、社会的に受け入れられやすく、タイムリーなものにすることに注力することだ。