「~新ビジョン策定~人を・企業を・社会をインスパイアする産業への進化」セッションダイジェスト(前編)
上杉公志
JMRA事務局
新・産業ビジョンの策定背景
「〜新ビジョン策定〜 人を・企業を・社会をインスパイアする産業への進化」セッション冒頭では、マーケティング・リサーチ産業VISION策定委員会の委員長・橋本和彦氏より、新ビジョン策定の背景について説明がありました。
橋本氏はまず、2017年にJMRAが掲げた「JMRAマーケティング・リサーチ産業ビジョン」を振り返ります。そこでは「市場の計測者からイノベーションのエンジンへ〜情報の力でくらしとビジネスを変革し続ける〜」という理念が示されており、「この考え方は今後も継続すべき重要な概念である」と強調しました。
一方で、AIの進展や顧客価値観の変化、調査環境の悪化など、2017年以降に産業を取り巻く環境が大きく変化したと指摘。国内のマーケティング・リサーチ産業は堅実に成長しているものの、大幅な拡大やJMRA会員社数の拡充には至っていない現状を述べました。
こうした変化の中で顧客課題に対応し続けるには、「周辺産業との連携を強化し、新たな価値を共創することが必要」と語り、リサーチの強みを活かしながら成長していくために「リサーチ産業自体を再定義し、概念を拡張する必要がある」と提言しました。
産業ビジョン策定のプロセスと体制
そのおもいを踏まえ、およそ1年にわたる委員会内外での対話を経て、新たなビジョンが策定されました。それが、「ありたい未来を創る探究主体として、人を・企業を・社会をインスパイアする」です。
橋本氏は、今回の産業ビジョンアップデートにあたって構築された、マーケティング・リサーチ産業VISION策定委員会の3つのチーム体制を紹介し、締めくくりました。
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1つ目は、ヴィジョンそのものを策定する「マーケティング・リサーチ産業ビジョン策定チーム」。
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2つ目は、環境変化や顧客動向の分析を通じて新たなヴィジョンを裏付けていく「業界・顧客動向研究チーム」。
- そして3つ目は、今後の綱領として発信していくために規定類の整備を担う「綱領及び規定類アップデートチーム」です。
サイエンスインダストリーの曲がり角──リサーチ産業が直面する環境変化とは
今回のセッションでは、それぞれのチームが活動内容と方向性を発表しました。
最初に登壇したのは「業界・顧客動向研究チーム」の尾形祐樹氏です。尾形氏は「サイエンスインダストリーの曲がり角」と題し、マーケティング・リサーチを取り巻く環境変化を、海外事例も交えて紹介しました。
セッションタイトルの「曲がり角」には2つの意味があると尾形氏は説明します。ひとつはAIなど「技術面」での曲がり角、もうひとつは顧客関係や周囲のプレイヤーの変化を踏まえ、「我々のスタンスを変えるべきではないか」という曲がり角です。今回の発表では、特に後者──業界構造や顧客関係の変化に焦点を当てて紹介されました。
顧客関係の変化とリサーチ活用法の二極化
「業界・顧客動向研究チーム」がまず実施したのは、JMRA加盟各社の顧客フロント担当上席責任者17名へのヒアリングです。尾形氏は、そこから見えてきた変化として次の2点を挙げました。
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1つ目は、クライアントとの関係が「下請」から「パートナー」へ進化していること。
- 2つ目は、提供価値が「調査実務のプロバイダー」から「インサイト戦略提案のプロバイダー」へ転換していることです。
こうした変化を背景に、リサーチの活用方法は二極化していると尾形氏はいいます。「より早く、安く」を重視する簡易調査や定常分析ではデジタル・DIYツールの活用が進み、クライアントによる内製化が加速。一方で、重要な戦略案件や高度な分析を要するプロジェクトでは調査会社への発注ニーズが高まっています。
さらに尾形氏は、アクチュアルデータとの融合・統合分析や、デジタルマーケ支援・UXリサーチなど他業界との協業・競合の拡大にも触れ、「高度化と多様化が進む中で業界の境界線はますます曖昧になっている」と指摘します。「だからこそデータの信頼性を確保し、+αの付加価値を加えることが重要だ」と強調しました。リサーチは単なる事実提示にとどまらず、「示唆」や「意思決定支援」まで踏み込む役割が求められているのです。
「客観的な事実提供」から「主体的な示唆導出と共創」へ
ここまでを通じ、マーケティング・リサーチ産業が直面する課題と求められる進化の方向性について、尾形氏は「顧客との関係」「アウトプット」「スタンス」の3つの焦点を掲げました。
「顧客との関係」では、依頼された調査を遂行するだけでなく、経営やマーケティング判断に資する示唆の提示が求められます。「アウトプット」面では、データ整理や可視化にとどまらず、仮説構築や戦略代替案の提案といった高次の知的貢献が期待されます。「スタンス」においても、中立性にとどまらず、クライアントと対話をしながら共創する姿勢が求められています。
尾形氏はこれらを踏まえ、「マーケティング・リサーチ業界の曲がり角とは、『客観的な事実の提供』から『主体的な示唆導出と共創』への進化を意味する」と総括しました。
また、ESOMARの『Evolution Report 2025』を引用し、世界のインサイト産業の動向も共有されました。特に成長が著しいのは「リサーチソフトウェア」分野であり、リサーチユーザーが触れる機会は今後さらに増える見込みです。尾形氏は、この変化を見据えた対応が業界に求められると指摘しました。
一方で、リサーチ産業自体は縮小せず、緩やかに拡大を続けています。尾形氏は「一次データの収集は、どれほど環境が変化してもリサーチの根幹を支えるコア要素であり、今後も磨き続けることが重要だ」と強調しました。
AI時代のインサイト産業──求められる3つの人物像とは
つづいて尾形氏は、インサイト産業における「AIの影響」について考察しました。尾形氏はまず、AIはリサーチ業務と親和性が高く、定型化・パターン化された作業の自動化がさらに進むと指摘します。
一方で、尾形氏が強調したのは「AIと親和性が低い領域」、すなわちパラダイムシフトが求められる領域です。AIは常識的回答には強いが、不確実な現象に新たな理論や視点を提示することは不得手であり、既存の枠組みを超えた発想の転換こそ価値ある領域だと述べます。
こうした変化を踏まえ、尾形氏はインサイト産業で求められる3つの人材像として「インサイトクリエイター」「パタンリピーター」「エシカルエバンジェリスト」を提示しました。
「インサイトクリエイター」は、新しいフレームを構想し、AIでは到達できない生活者課題の発見・解決に取り組む創造的役割、「パタンリピーター」は生成AIなどを活用し、業務を効率化・仕組み化してローコストで運用する役割です。
加えて登場するのが、マーケティング・リサーチ産業VISION策定委員会が提案する役割である「エシカルエバンジェリスト」です。これは、倫理的観点から情報の収集・活用の適正を評価し、AI時代のリサーチの信頼性を守る存在です。尾形氏は「マーケティング・リサーチ業界は、これまでもナンバーワン調査の適正表示など、情報の正確性や社会的価値を重視してきた。その知見を生成AIにも応用し、倫理的観点で評価・価値鑑定を行うことが重要だ」と強調しました。
「問い」を起点に、共創の未来へ──インサイト産業に求められるマインドシフト
セッションの締めくくりで、尾形氏はインサイト産業の今後の方向性に言及しました。
まず、「一次データの収集・加工・評価におけるリサーチ業界の優位性は揺るがない」と前置きしたうえで、「AIとの共存・適応を前提に、周囲の多様なプレイヤーと協業し、よりお客様や社会の課題にアプローチすることが重要だ」と強調します。つまり、AI時代にはリサーチ産業が専門性に閉じるのではなく、他業種との協働を通じて社会全体の価値創出に貢献することが求められると述べました。
さらに尾形氏は、「業界の変化に適応するだけでなく、変革の起点は私たち自身のマインドシフトと行動変容にある」と指摘し、そのキーワードとして「問い」を挙げました。従来の「クライアントからの要望を受ける姿勢」から、「主体的に問いを立て、クライアントと対話しながら連携する姿勢」へと転換する必要があると述べます。つまり、「一次データへの深い理解と分析力を武器に、AIや他業種との協働を通じ、社会の変化に寄り添いながら、『問い』を起点とした共創を実現していきたい」と語り、セッションを締めくくりました。
2025.11.18掲載