JMRA・広報セミナー委員会
多様なるマーケティング・リサーチの新潮流に触れる著者が語るシリーズ2025
第3回2025年9月25日 開催レポート
人はなぜ合理的に動かないのか
行動経済学が導くビジネスへの新視点
広報セミナー委員会 萩原雅之
本年度第3回目のセミナーは、関西学院大学助教授の黒川博文氏にご登壇いただき、著書『分析者のための行動経済学入門』(2024年11月刊行)についてお話を伺いました。
行動経済学は、人間が必ずしも合理的に行動しないという前提に立ち、意思決定に潜む心理やバイアスを解き明かす学問です。営業や交渉、マーケティング、組織マネジメントなど幅広い分野に応用できることから、近年ビジネスパーソンの間でも高い人気を集めています。本書は「データ分析者」を主な読者に想定したもので、黒川氏によれば類書はあまりないとのことです。
セミナーでは、クイズ形式の問いかけやチャットでの回答を通じて受講者自身が判断を体験し、自分の判断のクセを実感し楽しみながら理解を深められる内容でした。取り上げられたのは、損を避けたい気持ちが得をしたい気持ちより強く働く「損失回避」、未来の利益を過小評価する「現在バイアス」、仮説検証の際に支持的な情報ばかりを集めてしまう「確証バイアス」などで、調査設計や消費者理解においてリサーチャーが実務で活かせる理論ばかりです。
調査設計については、質問文のわずかな表現の違いや、選択肢の提示順序が回答に影響を与えることはわたしたちもよく経験しますが、これらは行動経済学によって説明できます。こうした知見を踏まえれば、回答者の心理的反応を予測して設問を作成できるだけでなく、回答者負担を軽減する工夫も可能になります。調査の精度や信頼性を高めるうえで大きな示唆といえるでしょう。
消費者理解においては、「どの選択がなされたか」「どんな関係があるか」という結果だけでなく、「なぜその選択が行われたのか」「どんな因果関係があるのか」に目を向けることの重要性が語られました。アンケート結果の数字の背後にある生活者心理や行動の仕組みを理解できれば、データの解釈力が高まり、生活者インサイトをより深く説明でき、調査結果をクライアントに伝える際の説得力も一層高まります。
また後半と質疑応答では、理論を応用して社会的に望ましい行動を後押しする「ナッジ」の活用も取り上げられました。ナッジは有効な手法である一方、操作的だと受け取られる危険もあるため、目的の正当性や説明責任を伴うことが不可欠と強調されました。効果については世界共通の傾向がある一方で、日本人は社会的規範を重視する傾向が強いなど文化的な違いもあることも指摘され、グローバル調査ではこうした文化的背景を踏まえる視点も必要でしょう。
黒川氏は学生時代に落語研究会に所属されていたこともあり、語り口は柔らかく丁寧でわかりやすい講義でした。行動経済学は、調査や分析の精度を高め、生活者をより深く理解するための知見を与えてくれるだけでなく、自分自身の判断やバイアスを見直すきっかけにもなります。今回のセミナーは、その魅力を体感できる貴重な機会となりました。