Esomar APAC(Asia Pacific Conference)は、マーケティングリサーチ・インサイト業界のプロフェッショナルによる国際的業界団体であるEsomarが世界各地域で開催する国際カンファレンスの一つです。Esomarは、国際的な倫理綱領やガイドライン、業界統計、政策提言を通じて、マーケティングリサーチ・インサイト産業の信頼性と発展を支える役割も担っています。日本では10年ぶりの開催で、5月27日から29日までの3日間、約40カ国から340名超の参加者が集まり、ヒルトン東京お台場にて開催されました。Esomarのカンファレンスは、この業界変革に世界がどう向き合っているのかを学ぶ貴重な機会です。その中で特に印象に残ったことを紹介します。
27日の初日は、Esomarの各国代表のミーティングなどのほか、株式会社アンド・ディの佐藤哲也さんと小木戸渉さんによる「実データを用いてハンズオンで学ぶAI分析ツール」の体験型日本語ワークショップをはじめ、さまざまなワークショップが開催されました。
28日・29日の2日間がメインイベントです。カンファレンスの発表・登壇者は、100件以上の応募の中から選出されます。Esomarのカンファレンスの特長は、事前に論文提出が必須である点です。この登壇者の選定を行うのがプログラム委員会で、その委員長を株式会社ヴァリューズの子安亜紀子さんが務めました。
日本からの登壇者
日本からは、ヴァリューズの神崎万里子さん・本間美咲さん「LLMとクリックストリームを活用した購買プロセス分析」と、JMRAインターネット調査品質委員会から岸田典子(筆者)・二瓶哲也さん「AI時代のリサーチ・インサイトと価値の再構築」の2件が登壇しました。JMRAからは、AI活用によるリサーチャーの役割変化と人間データを支えるオンラインパネルの持続可能性について報告しました。
発表後には、海外の参加者から「私たちの国でも同様の問題を抱えている」「帰国後に共有したい」といった反応をいただきました。Esomarで発表することは、自分たちの経験や問いを世界に共有し、共通課題として対話することなのだと実感しました。
カンファレンスのテーマ
今回のカンファレンスのテーマ「Beyond Balance」(調和のその先に)は、AIやテクノロジーが急速に進むこの時代に、技術と人間性のバランスの奥にある矛盾を見つめ直し、調和のその先にある新しい知、リサーチのあり方を共に探ろうとするものです。
脳科学者 茂木健一郎さんのキーノートスピーチでは、社会的評価やお金とは別の「いきがい」という小さな喜び、異質なものを調和させる「なごみ」という日本の概念が紹介されました。AIがスケールによって進化する時代だからこそ、人間の小さな喜び、感動、身体性、文化的な調和を理解することが、インサイト業界の本質的な価値になるというメッセージがありました。
AI×人間の協働による新しい方法
今回のカンファレンスでは、AIやテクノロジーを扱う発表が多くありましたが、「AIを使うべきか」ではなく、「AIをどのように使い、人間の判断や文脈理解とどう組み合わせるか」が議論の中心になっていました。一方、人間や文化の理解を深めるインサイト領域の発表も多くありました。
AI単体では間違ったり矛盾が生じたりすることを学び、「AIと人間の間のどこに境界線を引くか」をテーマとする発表や、AIは使う前提として、それをいかに「人間のインサイトで高めるか」を示す発表が多く見受けられました。AIは大量情報の処理とパターン発見を担い、人間は文脈化・意味づけ・戦略判断を担う方向にAIと人間の役割分担をするという方向感です。
例えば、シンセティック・データがどの程度実データを代替できるかの実験をクライアントと共に行っている話が紹介されました。AIだけでは精度に限界があり、実データとの組み合わせや基準となる別のデータと組み合わせて使うことで調整を重ねる段階にあります。
またAIの活用によって、エスノグラフィック調査の大量のビデオから相違点や特徴を抽出し、それらをまとめた新たなビデオを作ることまでも容易になっています。調査の手法や概念に大きな変化が起こっていることを感じました。またリサーチは、質問紙中心から、行動データ・AI・対話型分析を組み合わせる方向へと広がっています。
AI時代だからこそ、人間理解の質が問われる
文化の背景にあるものを、過去の広告表現などさまざまな素材から読み解く「記号論(セミオティックス)」という手法があります。異なる文化の理解のために海外ではよく取り上げられる手法ですが、日本の調査シーンではあまり見かけません。日本の調査会社が海外市場の理解や貢献の可能性を考える上で、見落とされがちな視点があるように感じました。
AIが生成・要約・分類などを担うようになるほど、人間理解、文化理解、データ品質の重要性が増し、リサーチャーには、文化的文脈、言葉の背後にある意味、回答者の体験を読み解く力が求められます。
リサーチャーの役割の拡大
リサーチャーの役割は、「分析者」から「変化を設計する人」へと役割や活動が広がっています。その背景には、AI時代となり、調査会社の納品物としてレポートの必要性が下がっていることがあります。調査会社は、従来型のレポート納品に依存しない新たな価値提供モデルを模索する時代に入っています。
また、インサイト部門/リサーチャーは、単なる分析担当ではなく、経営判断に関与する方向、クライアント企業内のリサーチ以外のさまざまな部門(他の事業部やクリエイティブ・チームへのインサイト共有など)へと活動が広がっている事例が紹介されています。まさにBusiness Translator(インサイトをクライアントの意思決定やアクションにつなげる)の仕事でした。今回の発表はリサーチが、都市交通、安全、健康、政策、社会的活動にまで幅広く活躍の場が広がっていることを示しています。
ビデオの紹介
カンファレンスが素晴らしいのは、こういうリサーチがあるのかとリサーチの視野を広げてくれるような発表があることです。YouTubeに、2日間のビデオが公開されています。すばらしいプレゼンテーションを見ることは、とても参考になると思います。
・ベストプレゼンテーション賞: GojekとIlluminate Asia /Semiotics of Indonesia’s Unshakeable Optimism(Day2)
客観的には厳しい経済環境にあるインドネシアで、なぜ人々が高い楽観性を持ち続けるのか。その文化的根拠をセミオティクス(記号論)で読み解き、ブランドコミュニケーションに活かしたケーススタディ。
・ベストペーパー賞: Human8 /One Less Car (Day2)
「一台少ない車で暮らせるか」をテーマに、UberとHuman8が実施した都市規模の行動実験。数百人の通勤者が1か月間、自家用車を使わず生活し、モビリティの可能性を検証した都市規模のモビリティ実験。
・JTI /Inside the 5% (Day1)
AI導入の多くが成果につながらないとされる中、JTIのグローバルインサイトチームが、独自AIプラットフォームの構築・運用から得た教訓。
・JMRA /Reinventing Research Insight and Value for the AI Era (Day1)
AIの導入が急速に進む中、JMRAでのAI情報交流会の活動とリサーチャーに求められる役割の変化、またデータの根幹(The Ground Truth)である人間のデータ、オンラインパネル参加者の定着率低下に対する業界横断的な取り組み(インターネット調査サステナブル宣言)を紹介。
プログラム内容、公開ビデオはこちら
https://esomar.org/events/asia-pacific-2026-tokyo
5月28日(Day1)
https://www.youtube.com/live/jkmgULjLDaA?si=MmgGnhCxB4NVlZ3C
5月29日(Day2)
https://www.youtube.com/live/aUu_6t8yQdg?si=IY1JNoN7Em1GEhmP