インターネット調査品質委員会
委員長 二瓶 哲也
2026年5月28日、東京で開催されたEsomar APAC 2026にて、JMRAのインターネット調査品質委員会から、「Reinventing Research Insights and Value in the AI Era - Offense and Defense for the Future of Research(AI時代におけるリサーチインサイトと価値の再構築 - 未来のリサーチに向けた攻めと守り)」と題した発表を行いました。この発表内容についてご紹介します。
はじめに:AI時代に突きつけられた2つの問い
AIがリサーチ業界を急速に変えつつある今、私たちは2つの問いに向き合わなければなりません。
- リサーチャーは不要になるのか?(攻め=AI活用の問い)
- リサーチデータへの信頼は維持できるか?(守り=データ品質の問い)
この2つは独立した問題ではなく、表裏一体の問いです。本発表では、JMRAが2024年から主催してきた「AI活用・情報交流会」での議論と「インターネット調査サステナブル宣言」の検討において議論されてきた内容をベースに、業界全体としてこれらの問いにどう答えるかを提示しました。
AI活用の3つのフェーズ
AI活用・情報交流会は、2024年の発足以来、オープンな形式でこれまで11回の交流会を開催しました。リサーチャー、開発者、テクノロジー企業が集う場として、最前線のAI活用事例やサービスが共有されてきました。AI活用・情報交流会で紹介された具体的なサービスも含めて、リサーチ業務におけるAI活用の3つのフェーズを紹介しました。
フェーズ1:業務効率化(Operational Efficiency)
定型業務の時間短縮です。代表例として、(株)はてなが提供するtoittaを紹介しました。インタビュー音声の自動文字起こし、重要情報の抽出、要約生成までを一気通貫で行い、定性データをインサイトに変える時間を劇的に短縮します。文字起こし・要約・翻訳・コーディングといった手作業からリサーチャーを解放するのが、この段階のAIの役割です。
▲toittaによる分析
フェーズ2:拡張ツール(Augmentation Tools)
人間単独では到達できない深さ・速度・規模を可能にする段階です。(株)Quest Researchのqorkは、AIによるインタビュアーが定量調査のスピードと規模で定性インタビューを実施することで、従来の定性調査の規模の制約を取り払います。数百件のインタビューを並列で走らせ、瞬時に大規模な分析を行う世界が、すでに現実となっています。
▲qorkによるAIインタビュー
フェーズ3:AIベースの回答者(AI-Based Respondents)
合成データやAIペルソナによって、実査そのものの一部を代替し得る段階です。大日本印刷(株)のペルソナインサイトは、日本人の属性・価値観データで学習したバーチャルペルソナを生成し、接触困難な層との自然な対話を可能にします。委員会のメンバーがテストした感想では「回答が平均的で予測可能になりがち」との指摘もありましたが、フィールド前の仮説検証やシミュレーションといった用途では、明確にパラダイムシフトと言える進化です。
▲ペルソナインサイトを用いた仮説検証
リサーチャーは不要になるのか?
これまでリサーチャーは、正確性やスピード、要約する能力で評価されてきました。しかし、これらのタスクはAIが代替していきます。同時にクライアント側の内製化も進んでいます。リサーチャーは自身の目標・スキル・価値を再定義しなければならない局面に立っています。発表では、リサーチャーの役割の進化の方向性として、以下の3つを提示しました。
- Strategic Questioner:AIに正しい問いを立てる
- Insight Curator:シグナルとノイズを見分ける
- Action Translator:インサイトをアクションに変える
守り:人間ならではのデータをどう保護するか
ここで重要なのが、リサーチデータにおいて何が人間独自の価値なのか、という問いです。
AIペルソナは論理的で一貫性があり高速ですが、平均的で尖った意見が出てきにくい面があります。一方、リアルな人間は雑多で矛盾を抱えていますが、想定外の発想や無意識の衝動を持っています。変化する状況での嗜好・感情・評価は、生身の人間からしか得られません。
そして忘れてはならないのが、「Garbage In, Garbage Out」の原則です。質の低いデータをいくら強力なAIに通しても、出てくるのは信頼できないアウトプットであり、誤った判断と信頼の喪失を招きます。AI活用が進めば進むほど、人間データを守ることの重要性が増しています。
日本のオンラインパネルが直面する危機
日本は不正な回答によるデータ除外率が世界最低水準にあり、データ品質という点で明確な優位性を持っています(出典:The Insights Association, Data Quality Benchmark Study 2025)。しかし、人間データの源泉であるオンラインパネル自体を維持できるかが、いま深刻な問題となっています。日本のインターネット調査の主要5社の平均値では、2021年を1.00とした場合の2025年のアクティブ率は、10代0.44、20代0.46で半数以下であり、特に若年層のアクティブ率の低下が顕著です。さらに深刻なのは、新規登録者の1年継続率です。10代の新規登録者の96%が1年以内に離脱しています。若年層は最も獲得しにくく、最も維持しにくい層になりつつあり、インターネット調査の存続が危ぶまれています。
[参考]インターネット調査の未来を揺るがす課題 ―このままでは調査は成立しない“モニターの離脱が突きつける厳しい現実”―
https://www.jmra-net.or.jp/activities/trend/domestic/20260120.html
なぜアンケートモニターは調査への関心を失うのか
委員会での議論からは、4つの構造的要因が浮かび上がりました。
(1)低い謝礼
調査の90%がスクリーニング調査で、5問に対して2〜3円という労力に見合わない報酬です。82%のリサーチャー自身が「謝礼が低すぎる」と認めています。
(2)回答者視点の欠如
スマートフォンで調査がどう見えるかを確認しているリサーチャーはわずか20%です。回答者ファーストの考え方が決定的に欠けています。
(3)ストレスフルな調査
50問以上の長い質問票、大きなマトリクス形式、スクロールの多い設計、自由回答の多用、注意確認質問、複雑なロジックによるエラー。これらすべてが離脱を招いています。
(4)クライアントとの対話不足
コスト競争によりインターネット調査はコモディティ化し、粗悪な調査仕様が容認されすぎています。
78%のリサーチャーが「業界全体の変革が必要」と同意しています。
[参考]業界アンケートから見えたインターネット調査の課題 ―調査品質低下の最大要因は「回答負荷」にある
https://www.jmra-net.or.jp/activities/trend/domestic/20260217.html
インターネット調査サステナブル宣言:パネル基盤を守る5つの柱
この危機に対し、JMRAインターネット調査品質委員会は「インターネット調査サステナブル宣言」の方向性を提示しました。サステナブル宣言は5つの柱から構成されます。
(1)参加者体験(Participant Experience)
公正な謝礼と、より良いエンゲージメント。より良い体験が、より良いデータを生みます。
(2)リサーチ設計の品質(Research Design Quality)
質問票の長さを制限し、明確でシンプルな質問を、スマートフォン優先で設計します。回答者の負担を下げ、データ精度を上げます。
(3)事前調査の最適化(Optimizing Pre-Surveys)
スクリーニング調査を合理化し、関連のない質問を排除します。スクリーナニング調査は入口であり、軽くしておくべきです。
(4)業務プロセスの再設計(Business Process Redesign)
クライアントとの密な対話を構築し、業界全体のルールと標準を確立します。リサーチ会社は受注者ではなく、真の品質パートナーになるべきです。
(5)パネリストとのコミュニケーション(Communicate with Panelists)
回答者に「あなたの本当の声が、製品・サービス・社会を形作る」というメッセージを伝えます。同時にAIを利用した不正からも防衛します。
これらは、インターネット調査の次の段階に向けた方向性です。信頼できる人間データを確保し、リサーチの価値を再構築するための土台となります。
攻めと守り、そして共に築くコミュニティ
発表の結論として、3つの行動原則を提示しました。
- AIを使いこなす(Master AI):戦略的な問いを立て、インサイトをキュレーションし、行動へと翻訳します。
- 人間データを守る(Protect Human Data):あらゆる信頼できるインサイトの基盤となる、人間ならではのデータを保護します。
- 共に築く(Build Together):業界横断のコミュニティで、これを実現します。
冒頭の2つの問いに戻りましょう。
- リサーチャーは不要になるのか?
――いいえ。役割はより戦略的になります。
- リサーチデータへの信頼は維持できるか?
――はい。ただし、人間ならではのデータを積極的に守れば、という条件付きで、です。
AI時代のリサーチの未来は、攻めと守りの両輪、そして業界全体で共有する場があってこそ実現できます。Esomar APAC 2026での議論を起点に、引き続き国内外の業界関係者と対話を深めていきたいと考えています。
発表への反響と今後について
今回の登壇を通じて感じたのは、パネルのデータ品質に対する課題意識が、日本だけのものではないということです。発表後の懇親会では、各国のリサーチ会社およびリサーチ協会の参加メンバーから、「自国でもぜひ知見を共有したい」「同じ課題を抱えている」といった声を多数いただきました。アジア各国でもパネル品質への関心は高く、共通の危機感が存在しています。日本が先行して取り組んでいるデータ品質の議論や「サステナブル宣言」のアプローチは、グローバルにおいても有益な実績になり得ると感じています。なお、2026年10月に開催予定のJMRAカンファレンスにおいて、「インターネット調査サステナブル宣言」を中心とした発表を行う予定です。国内のリサーチ業界関係者の皆さまと、改めてこの議論を深める機会としたいと考えています。引き続きご注目いただければ幸いです。
2026.07.22掲載